東京地方裁判所 昭和44年(ワ)867号 判決 1972年2月28日
原告 保坂徳右衛門
右訴訟代理人弁護士 須藤静一
被告 畑野松三郎
右訴訟代理人弁護士 菊池紘
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し別紙物件目録第一記載の建物を収去してその敷地である同目録第二記載の土地を明渡しかつ、昭和四二年九月一日から同土地明渡ずみに至るまで一か月金一一、〇五〇円の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求めると申し立てた。
二 被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。
第二当事者の主張
一 原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。
(一) 別紙物件目録第二記載の土地(以下本件土地という)は原告の所有に属するが、原告は昭和三六年八月一二日被告との間でつぎの内容の賃貸借契約(以下本件契約という。)を締結し、本件土地を被告に賃貸した。
1 目的 堅固な建物所有の目的
2 期間 昭和三六年六月二五日から昭和六六年六月二四日まで三〇年
3 賃料および支払方法 賃料は一か月金八、八四〇円とし、毎月末日かぎりその月分を持参して支払う。
(二) 被告は本件土地上に別紙物件目録第一記載の建物(以下本件建物という。)を構築し、同建物で英進学院と称する予備校を経営しており、前記の賃料は、その後当事者間の合意により改訂され、昭和六〇年一月分以降一か月金一一、〇五〇円と定められた。
(三) 被告は当初から賃料の支払いを滞りがちであったが、昭和四二年九月分以降の賃料を全然支払わず、原告のたびたびの催告に対してもなんら応ずるところがなかった。そこで、原告は同四三年五月二日付内容証明郵便で被告に対し同四二年九月一日から同四三年四月三〇日までの八か月分の賃料合計金八八、四〇〇円を同年五月一五日までに支払うよう催告し、右郵便は同月三日被告に到達した。
(四) それにもかかわらず、被告は右催告期間内に右賃料を支払わなかったので、原告は昭和四三年五月一六日付内容証明郵便で被告に対し賃料債務不履行を理由として本件契約を解除する旨の意思表示をし、右郵便は同月一八日被告に到達した。したがって、本件契約は解除により同日かぎり終了したものというべきである。
(五) よって、原告は、本件契約およびその終了に基づき被告に対しつぎの請求をする。
(1) 本件建物を収去して本件土地を明け渡すこと
(2) 昭和四二年九月一日から同四三年五月一八日までの一か月金一一、〇五〇円の割合による賃料の支払い
(3) 同月一九日から本件土地明け渡ずみまで一か月金一一、〇五〇円の割合による遅延損害金の支払い
二 被告訴訟代理人は請求の原因に対する答弁として、つぎのとおり述べた。
(一) 請求の原因一、二項の事実は認める。
(二) 同三項の事実のうち原告主張の内容証明郵便がその主張の日被告に到達した事実は認めるが、その他の事実は否認する。
(三) 同四項の事実のうち原告主張の内容証明郵便がその主張の日被告に到達した事実は認める。
(四) 同五項の主張は争う。
三 被告訴訟代理人は、抗弁として、つぎのとおり述べた。
(一) 被告は昭和四二年九月頃同月分の賃料を原告に提供したが、原告は本件土地の賃料の増額を請求し、増額した賃料でなければ受け取らないといって、右賃料の受領を拒絶した。その後も、被告は三度原告に対し本件土地の賃料を現実に提供したが、いずれもその受領を拒絶された。そこで、被告は、昭和四三年五月一四日、同四二年九月一日から同四三年四月三〇日までの賃料として合計金八八、四〇〇円を供託した。したがって、右賃料を支払う債務は右供託によって消滅したものというべきで、同年五月一六日された原告の本件契約解除の意思表示は無効である。
(二) かりに右主張が理由のないものであるとしても、
1 被告は、昭和三六年原告から本件土地を賃借したのち、同地上に建築された校舎で、予備校の名門であり、予備校として規模、内容とも最高水準にある英進高等予備校を経営している。
2 被告は、昭和四二年九月ごろ、前記のとおり、原告に対し本件土地の賃料を提供したが、その際、原告は被告に対し本件土地の賃料を一か月金一三、〇〇〇円に増額する旨通告した。被告はこの増額を承諾しなかったところ、原告は今後増額した賃料額を提供しなければ、受領しないといった。そこで、被告は、原告の経理顧問をしていた中家に対し原告の賃料増額について相談したところ、同人は賃料増額に関する紛争を原告にとって有利となるように解決する旨言明したので、被告は紛争の解決を中家に一任した。その後昭和四三年五月まで、原告は被告に対し一度も本件土地の賃料の支払を催告しなかった。
3 昭和四三年五月三日、同年九月一日から同四三年四月三〇日までの賃料の支払いを求める原告主張の内容証明郵便が到達したので、被告は催告金額八八、四〇〇円を原告方に持参して支払うことを中家に依頼しようとしたが、たまたま同人が帰郷中であったため、被告は、英進予備校の理事であり、当時すでに東京地方裁判所に係属していた原告・被告間の土地交換をめぐる訴訟事件について被告の訴訟代理人となっていた田中秀恵弁護士に相談したところ、同弁護士は被告に対し賃料支払いの紛争の解決を一任することを求めた。そこで、被告は同弁護士に金八八、四〇〇円を交付し、同弁護士は前記事件の口頭弁論期日に原告の代理人に対し右賃料支払いの問題について協議を申し入れたが、同代理人はこれを拒絶した。田中弁護士は、やむをえず、昭和四三年五月一四日前記賃料八八、四〇〇円を供託した。なお、被告は、原告に対し、電話であらかじめ右供託のことを通知した。
4 被告は右供託によって催告された賃料の支払いを拒まない意思を明確にし、右賃料の支払いについて十分誠意を尽したのである。原告はいつでも供託金を受領することができるし、被告に連絡して供託金を取り戻させ、原告に支払わせて紛争を解決することもできるのである。
5 被告が昭和四二年九月一日から同四三年四月三〇日までの賃料を原告に交付しなかったのは右に述べたような経緯によるのであるから、右賃料の不交付によっていまだ本件賃貸借関係における信頼関係の破綻を生じていないものというべきである。したがって、原告は右賃料の不交付を理由として本件賃貸借契約を解除することができないものといわねばならない。
(三) かりに右賃料の不交付を理由とする解除権の発生が容認されるとしても、原告は被告が不用意な供託をしたことを奇貨とし、従前一四か月分の賃料を一括して支払ったことに対しなんら異議を述べなかったにもかかわらず、被告の虚に乗じ、本件建物を収去して本件土地を明け渡すことを請求するものであり、原告の本訴請求は、賃貸人としての信義に反し、権利の濫用として許されないものというべきである。
四 原告訴訟代理人は、被告の抗弁に対し、つぎのとおり述べた。
被告がその主張の日原告の催告にかかる賃料額を供託したことは認めるが、被告は原告に対し右賃料額を提供したことがないから、右供託によって右賃料額弁済の効力は生じないものというべきである。
第三証拠関係≪省略≫
理由
一 原告が昭和三六年八月一二日被告との間で、目的は堅固な建物の所有、期間は同年六月二五日から三〇年とし、賃料は一か月金八、八四〇円とする約定で、本件土地を賃貸する契約を締結したこと、同四〇年一月本件土地の賃料が一か月金一一、〇五〇円に改訂されたことについては、当事者間に争いがない。
二 被告は昭和四二年九月以降も数回賃料の提供をしたが、原告は右賃料の受領を拒絶した旨主張する。しかし、右事実を認めるに足りる証拠がないから、被告は昭和四二年九月分以降の賃料を提供しなかったものといわざるをえない。
そして、原告が昭和四三年五月二日その主張の内容証明郵便で同四二年九月から同四三年四月分までの賃料合計金八八、四〇〇円を同年五月一五日までに支払うよう催告したことについては、当事者間に争いがない。
被告は、「原告に対し右賃料を提供したが、原告はその受領を拒否したので、昭和四三年五月一四日右賃料を供託した。したがって、右賃料支払債務は消滅した」旨主張するが、被告が右賃料の提供をしたこと、原告がその受領を拒否したことを認めるに足りる証拠がないから、被告の右主張は採用することができない。
つぎに、原告がその主張の内容証明郵便で本件契約を解除する旨の意思表示をし、右郵便が原告主張の日被告に到達したことについては、当事者間に争いがないが、被告は右意思表示はその効力を生じない旨主張するので、この点について判断する。
≪証拠省略≫を総合すれば、被告が前記賃料の支払を請求する内容証明郵便を受領した当時、原告、被告間には本件とは別に訴訟が係属しており、相互に紛争の渦中にあったため、被告はみずから右賃料を原告方に持参することをためらい、かねて知合の田中秀恵弁護士に右賃料の支払の問題を相談した結果、同弁護士のすすめにより右賃料を供託することになり、同弁護士に右賃料全額を交付したところ、同弁護士は昭和四三年五月一四日被告名義で右賃料額を供託したこと(右供託の事実については、当事者間に争いがない。)、被告は同日以前電話で原告に対し右供託の意思を伝達したことが認められ、右認定を妨げる証拠はない。
右認定の事実によれば、右供託は無効であり、これによって右賃料支払債務は消滅しないものというべきであるが、被告は右賃料を支払う意思および能力をもっていたのであり、原告はこのことを知っていたものというべきであるから、原告がこれを受領する意思をもつかぎり、容易にこれを手中に収めることができたものといわねばならない。このような場合には、信義誠実の原則に照らし、賃料支払の催告に応じないことを理由として、本件契約を解除することは許されないものと解するのが相当である。
したがって、原告が被告に対し本件契約解除の意思表示をしたことは前記のとおりであるが、右意思表示はその効力を発生するに由ないものといわねばならない。
三 されば、原告の本訴請求は理由のないことが明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 枡田文郎)
<以下省略>